ブリューゲルの「聖アントニウスの誘惑」に思うこと

 

去年2017の秋に文化村ミュージアムでの、ベルギーの系譜展を

観たときに購入した1枚の絵葉書・・

冷蔵庫の扉に貼って眺めていました(笑)

「聖アントニウスの誘惑」1556年作

有名な銅版画なのですが、

これ何度観ても、魅かれるものがあります。

この作者はピーターブリューゲル(父)

こんな風貌の方。御髭が立派!

1530年ごろから1569年まで生きたそうなので、40歳ぐらいには

もうお亡くなりに・・

この短い生涯に版画の下絵はもちろんのこと、有名な油絵をたくさん

制作されたのですから、すごい才能です。

銅版画「聖アントニウスの誘惑」は、

原画はもちろんブリューゲル、

彫版はピーテル・ファン・デル・ヘイデン、

発行はヒエロニムス・コック。

少し前の時代、ヒロエニスム・ボス(1450~1516)が

油絵で「聖アントニウスの誘惑」を残していますが

それによく似たところが、たくさんあります。

 

この時代は彫り師は下絵を描く人とは別なのが普通でした。

浮世絵も分業でしたけど、北欧でもそうだったんですね。

ところで、ブリューゲルは、発行者のコックさんに雇われて

たくさんの銅版画の下絵を描きました。

2人は10年足らずのあいだ、一緒に仕事をしました。

その短期間に集中的に幻想版画を作ったわけですが、

その後は、パタッとこの手の銅版画を作ることを止めてしまったそうです。

この手の銅版画は100点ぐらいあるそうなのだけど、

集中的に作られた物だったのですね。

下絵もだけど、実際の彫り師の労力を考えると、たいへんな作業だったのでは?

と、思えてくるのです。細かさ半端ではないし・・

まあ彫り師も何人かいたから、出来たことなのでしょう。

コックさんはアントワープで出版社(版画出版)を立ち上げ、

北部ヨーロッパに版画をひろめた大功績のある方・・

ブリューゲルはコックの要望に応えて、当時たいへんに流行していた

ボッス風の幻想的な絵を、銅版画にして世の中に発表してゆきました。

そのようにして、ブリューゲルの銅版画は、

大変な人気で良く売れたようです。

コックの出版したブリューゲルの版画の中には

ボスの名を偽った物もあったそうで、

ずるい一面もあったようですね・・

お金に目が眩んだのでしょうか。

でも、コックがいなかったら、

北欧にイタリアルネッサンス絵画が紹介されることは

無かったわけだし、そういう偉大な使命のある方だったのです。

原画を描く人、彫り師、出版する人、その連携プレイ、熱い思いあってこそ、

今私たちは、すばらしい版画を、観ることが出来ているのですね・・・!