■銅版画の歴史
銅版画の起源は、15世紀の初め頃、
イタリアのフィレンツェなど、ルネッサンス文化の
中心地からだった。
ほぼ同時期、ドイツやオランダでも銅版画が制作
され始めた。
最初は、金属工芸から銅版画へと発展していった
という。
武具に施す装飾を印刷することから、
銅版画へと展開していったことは興味深い。
銅版を直接掘るエングレービング技法から始まり、
その後16世紀にはエッチング(腐蝕法)へと展開
していく。
エングレービングではドイツのアルブレヒト・デューラー、
エッチングではオランダのレンブラント
・ファン・レインが大きな功績を残した。
レンブラントは、油絵のほか、300点以上の
銅版画を作り、銅版画の歴史上、大きな役割を
果たした。
西欧で、初めて和紙に銅版画を刷った最初の人
でもある。
![](https://i0.wp.com/crea-douhanga.pepper.jp/wp-content/uploads/2017/01/デューラー-228x300.jpg?resize=400%2C527)
アルブレヒト・デューラー「メランコリア」
1514年
![](https://i0.wp.com/crea-douhanga.pepper.jp/wp-content/uploads/2017/01/レンブラント-232x300.jpg?resize=400%2C517)
レンブラント・ファン・レイン「自画像」
1639年
その他、ルーカス・クラナーハ、ハンス・ホルバイン、
ピーテル・ブリューゲル、ヒエロニスム・ボス
なども、銅版画を多く残している。
そして、銅版画は複数生産ができるという特性から、
出版業と結びつき発展してゆくこととなる。
17~18世紀になると、さらに技法は多様化し、
多色刷りやアクワチント、メゾチントなどで版画が
作られるようになった。
18世紀末、石版印刷の技術が発明されると、
より量産しやすいリトグラフが盛んになってゆく。
さらに、時代とともに、写真技術がすすむにつれ、
19世紀末には、写真が版画にとって代わって
しまう。
その後20世紀以降は、美術の領域で、
版画の役割が大きくなってゆくこととなる。
■版画の種類と銅版画のしくみ
版画には大きく分けて、凸版、凹版、平版、孔版と、拓刷りなどがある。
銅版画は、凹版である。
総称して、エッチングとも言われており、亜鉛版や鉄板を使う場合もある。
簡単にいえば、銅版に凹みを作り、そこにインクを詰めて、
それ以外の凸部分のインクは拭き取り、プレス機で刷るのである。
逆に、一般に馴染み深い木版は、凸部分のみにインクをのせて刷る技法だ。
銅版画技法には、直接技法と、薬品による腐蝕法がある。
□直接法・・・ドライポイント、メゾチント、エングレービング など □腐蝕法・・・エッチング、アクワチントなど |
銅版画・摺りの行程について
![](https://i0.wp.com/crea-douhanga.pepper.jp/wp-content/uploads/2017/01/toha1.jpg?resize=720%2C539)
(1)版にインクを詰める
ウォーマーで版を温め、ゴムヘラやローラーで行う。
![](https://i0.wp.com/crea-douhanga.pepper.jp/wp-content/uploads/2017/01/toha2.jpg?resize=720%2C539)
(2)インクの拭き取り
最初は寒冷紗で、次に、人絹や薄い紙を使用する。
プレートマークのインクもきれいに拭き取る。
![](https://i0.wp.com/crea-douhanga.pepper.jp/wp-content/uploads/2017/01/toha3.jpg?resize=720%2C534)
(3)プレス機で刷る
ベッドプレートの上に版を置き、
予め湿らせていた版画 紙をのせ、刷る。
![](https://i0.wp.com/crea-douhanga.pepper.jp/wp-content/uploads/2017/01/toha4-300x223.jpg?resize=720%2C534)
(4)完成
刷り上がったら、最後に水張りをして乾かす。