藤田嗣治展を観ました

自画像

東京上野の都美術館で開催中の、藤田嗣治展を観ました。

126点もの作品があり、藤田の画風の変遷がよくわかり面白かったです。

タピスリーの裸婦

30代で既に、細い輪郭線と乳白色の美しいマチエールでの女性像などの油彩スタイルを

完成させていたにもかかわらず、

40代ごろから、中南米やアジアなどを旅しながら、そこで出会った生の人々を、

普通の西洋画ぽいタッチで泥臭く描いたりと、

技法、描き方を自由に変え、そこの土地の空気感をもろに受けながらの制作・・

これには、嬉しい驚きでした!

一つの画風に絶大な評価を受けたにも関わらず、

それだけに固執しないことに、潔さと精神の自由さを感じました。

その後、また乳白色の画面にもどり、さらに磨きをかけてゆくのですが・・・

技法は変わってっも、一生を通して藤田の場合、

主に人間に興味があったという点は一貫していたのではないでしょうか。

 

また藤田は、第2次世界大戦時には、国から依頼を受けたり、

時には自主的にも、戦争画(作戦記録画)を描きました。

国からお金をもらって戦争画を描いた画家は、宮本三郎や小磯良平などがいます。

戦争が終わったあと、戦争に加担した人物として事情聴衆などのお咎めを受け、

嫌気がさした藤田は再びフランスへ去って行った・・・

同じように作戦記録画を描いた宮本や小磯はお咎めを受けなかったらしいですね。

変ですね・・・全く。

アッツ島玉砕  1943年

純粋に、何の予備知識もなく、この絵を見たとき

只々、戦争の悲惨さが伝わってきて、敵も味方も関係なく不幸だと

思いました。

戦意高揚のため描かれた絵だったそうですが、

これを観て、私の心は戦争は地獄だとしか思えない・・

ところが、当時の普通の人々は、これを観て、兵隊さんの勇気を讃え、

この絵にお辞儀をしたそうです。

たかだか、70数年前のこと。

戦争で命を落とすことが、美化され、国民全体が、

歪んだ軍国主義の思想に心が蝕まれてしまっていた・・

世界中を旅してさまざまな人たちと出会い交流しながら人を描いて来た藤田は、

いったいどんな思いで、作戦記録画を描いたのでしょうか。

藤田のお父さんは軍医だったことや、

若い頃は軍人さんとの交流もあったとのことですから

そういう環境からの影響も受けたと思われます。

 

また、私生活では、なんと5回の結婚・・

なるほど。うつくしい女性像を残した背景には、そのようなことが!♪

恋多き人、そして変化を好む、飽きっぽい人だったのかな。